スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

愛情と執着心



感じ方に個人差があるだろうし、基準なんてないだろうけれど、どこまでが純粋な愛情で、どこからが利己的な執着心になるのだろう。

恋愛にしても、
親子愛にしても、
友情にしても、

どちらかが束縛されていると感じた時点で、一方の執着心が強いってことになるのかもしれない。

逆に言葉で「愛情がある」と言われ、何をしても自由にさせてもらっていると、「無関心すぎる」と愛情自体を疑う人もいたりする。

愛情があるからこそ、好きなことを自由にさせてあげたい。
楽しんでいる姿、喜んでいる姿を見ることが幸せだ。
活き活きしていて欲しいから、気を遣わずに好きなことをして欲しい。

大切だからこそ心配で仕方ないし、傍に居てくれないと不安だ。
言うことを聞いてくれないと悲しくなる。
自分だけを見ていて欲しい。

想いの中に、自分の感情が色濃くなってくると、執着心が出てきていることになるのだろうか。

愛情と自由が、
執着と束縛が、
必ずしもセットになっているとは思わないけれど。

想いが
自分<相手
自分>相手
の違いはあるのかもしれないと考えたりする。






わたしとしては
束縛されるのは耐えられないな。



コメントの投稿

非公開コメント

◆みやちんさん

コメントをありがとうございます。

難しいことですよね。
自分と違うモノの捉え方をする相手をどう受け入れるかってところが、何かの答えに繋がるような気がしています。

自分と違う相手を認める、
受け入れる、
相手になったつもりで考えてみたり、とか。

相手に自分の感性や思考を押し付けるのではなく、
受け入れながら、自分も伝えていく。
そして互いにその違いを認めながら、一緒に居られれば、きっと自分の感性も視野も広がるのかなぁと考えたりもします。
そうしていくことで、互いのが混合した新しい感性や価値観が育っていけば、より理解し合えるのかも。
束縛しなくてもいい何かが生まれるのかもしれない。

みやちんさんからのコメントを読ませて頂いて、上記のようなことを思いましたv-22


想いの違い

この1年くらい同じようなこと考えてました。
束縛されたくないところがあるのに、ときに相手を束縛したいと思う自分がいます。
相手を人として、全てを限りなく認め、理解し、想い、信じる努力をし続けることが、”自分=相手”に近づくことになるのかな?と。
そのためには、”同じ感性”と、”同じ価値観” で感じたり考えたりできることが一番大切な気がしています。
そして、
”同じそれらを持った相手を信じる自分”
を、信じること、ときにはで、”自分≒相手”となって、決して”=”ではなくても、”≒(想いの違い)”のところを許すことができるのかな、
そんな風に思っています。決して簡単ではないですね。
長くなりましたが、ayaseさんの文章に惹かれた理由が分かった気がしました。


Author:ayase
『*梨緒猫邪色*』に掲載される文章・画像の著作権は、ayase(彩世梨緒)に帰属します。 無断転載を厳に禁じます。
FC2ブログランキング

カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

アクセス解析

RSSフィード
*ayase*

Author:ayase
PN:彩世梨緒
著書『あったか色の涙』
12月13日生まれ
O型
B’z Bro.
ギター練習中。。。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。